児童相談所のイメージ
なんとなくですが、児童相談所と聞くとそこが児童養護施設のようなイメージをもっていないでしょうか。
児童相談所時代は役所にあって、児童養護施設はまた別の場所にあります。
実際、言葉でわかっていても、児童相談所がどこにあるのか私も分かりませんでした。でも2021年の冬、もう限界でした。何を言っても大騒ぎする娘、「ちょっと離れて」と言っても「嫌だ」と言ってくっついてくる。家の中でも追っかけまわされる。わめき散らされ、そのような中、虐待SOSに電話しました。もう限界です、と。
注意しても、伝えても「でも」「だって」と言い訳をする。夫はそんな娘を「普通」という。(夫も同じタイプです)娘は、情報を伝えても全く正しく理解できない。
そして、児相の相談が始まったのです。
危なくなったら電話
児童相談所には大変お世話になっています。でも、結局のところ、私は児童相談所の人に共感してほしいのではなく、理解してほしいのでもなく、実際の援助が欲しいのです。お金を払ってでもいいので、効果的な「物」が欲しいのです。
発達障害自体が良くならないのはわかるのですが、特性を抑える教育だったり、心理的な訓練する場所だったり、薬の調整をするための入院だったりして欲しいのです。「お母さん、大変でしたね。大丈夫だよ。」はいらないのです。だって、大丈夫ではないから。「お母さん、これからこの子は〇〇を始めましょう」とか「△△するのがいいです」などのアドバイスが欲しいのです。
今回はまず5万円となる大金を2日で使い切ってしまったことで、もう完全にいっちゃってるでしょ。私たちの力ではどうにもならないレベルだよ、といったのにもかかわらず、夫(出たー!)が「俺が何とかするから」ってまた自分のことすらできない人が出てきたので、私自身はもう自分の保身。私のイライラが止まりさえすればもういい、ともで思ってしまった。
娘が、かわいいと思わなくなってしまった。しかも、他人の子どものほうがかわいいとさえ思ってしまう。この発達の特性が、私にはどうしても受け入れられない。
5万円を盗んだのにもかかわらず、その後本人は返却しようともせずのらりくらりと遊びに行く姿を見て娘に対して嫌悪しか無くなってしまった。そして「俺がやる」発言の夫も一体娘に対して何をやっているのだかさっぱり分からない。
そんなやり取りが続き、やっぱり話を聞いてもらおうとなりました。児童相談所に電話しました。そして5月末、今までとは違うスタッフの方がやってきて色々話を聞いてくれました。
そして、理解をしてもらえた気がします。何をって?
「医療の力を借りた方がいいのではないのでしょうか。」という事実を。
そうです。もう、家庭では無理だし、家庭は崩壊してます。そもそも私の精神が崩壊しているんですよね。昨年、娘は一度お薬を出してもらったことがありました。でも、飲ませるのが大変で結局私が毎朝、毎夕「薬飲んだの?」と聞き、「あとで」と返答になり激怒するパターン。お薬カレンダーを使えば「老人くさい」と言われ、その老人くさいカレンダーも娘が使いこなせず、自分の病院への寄付となってしまいました。夫?以上に薬の存在は忘却されています。自分のことだってできないのに、人の予定など把握できるわけがない。
ああ・・・。私・・・しばらく、離れたい・・・。家のことは、何も考えたくない。仕事がどれだけ気が紛れるか、実感しています。
今後は児童相談所が、娘の担当医や担当心理士と連絡を取ってくれて、今の状況を把握するところから始めます、ということでした。